大学の時は法律と経済を勉強するようなところだった。
僕は「雨が降ったら学校はお休みにする」というルールを持っていて、
あまり学校に行かない不真面目な生徒だった。
それでも、晴れたら学校に行くのだった。
当時の僕は、作曲をするためのYAMAHAのモバイルシーケンサーを持ち歩いていた。
学校で、なんとなく仲良くしていたグループに見せたとき、
「そんなに役に立たないものを持ってどうするのだ」
と言われた。
そのグループには、面白がってくれる人はいなかった。
それ以来、そのグループと付き合うのをやめた。
上手な距離感で付き合えなかったのは、自分の社交の下手さもある。
しかし、一番に感じていたのは、一緒にいてもつまらなかったのだ。
アドラー心理学では、「共感すること」を大事なコミュニケーションスキルと捉えている。
この、共感するという能力のなかでも、人と仲良くなるうえで大切なのは、
その人に興味を持って接しているかということだ。
好奇心の表現が、相手に対する尊敬する気持ちの表れだ。
たとえば糸井重里さんの一番の才能は、「人のことをおもしろがれること」だと思うし、ご自身でもそう語っている。
糸井さんは、仕事をしながら、たくさんの本、マンガ・映画・ライブに触れている。twitterでも知らない人のツイートを積極的に見ている。
糸井さんの魅力は、他人に興味をもっているところから湧いていると思う。
僕が心理学を学んでよかったと思えることは、
人は誰でも興味深いストーリーを持っているということだ。
面白くない人はいない。
例外はないのだ。
一人で映像撮影をしたり、講師をしたり、DJをしたりとマルチに活躍する友人がいる。役者になったり、ベースを弾いたりもする。お祭りにも参加する。
過剰な好奇心というものは、それだけでも分かりやすくて面白い。
しかし、分かりにくい面白さをにも、その面白さを拾えるアンテナを持っていたい。
そして、分かりにくい面白さを発見して、笑顔で「変態ですね」と賛辞を送れる人でありたいと思うのだ。