支配と共感について気づいたこと
ヒューマン・ギルドのセミナー『SMILE』 では、親子の関係をよくするために、
支配ではなく、共感しあう関係を提案します。
一般的な親子の関係は「支配」しつつ「できるだけ共感」です。
親が「支配」という外交カードをいつまでも捨てがたいのは、そのカードを失ったら、親のほうがさみしいからだと気づきます。
今日は、そのお話について書きます。
(復讐しあう関係、支配されたいと願う関係については、また別の機会に書きます)
「誰の課題か?」という問題
『SMILE』の中で、「もし子どもが悪い友達と付き合っているとわかったとき、どうするか」
という仮定の問題が出されます。
あなたは、そんなとき、子どもに対して何と言いますか。
すこし考えてみてください。
アドラー心理学ではない、道徳的な正解は、「子どもの将来を考えて、その友達と付き合わないことを諭す」
です。
漫画「矢島金太郎」で、金太郎も、娘の美々に対してそうしました。
漫画では、美談となっています。
現実では、どうでしょうか。美談になりますか。
そうはならないと思います。
次に、『SMILE』のお勉強としての正解をあげると、「子どもが誰と付き合うかは子どもの課題なので、親は干渉せずに見守る」
です。
「タテではなく、ヨコの関係を目指しましょう」というのです。
子どもの課題は子供が解決すべきことで、親の課題ではありません。
子どもに干渉していては、子どもの成長の機会をうばい、なにより自由と尊厳をうばってしまいます。
さて、どうでしょうか?この見守るという話、腑に落ちますか。
理屈でそうだと聞いても、受け入れがたいというのが、正直な気持ちではないでしょうか。
深く自分の心をみつめることなく、うわべだけでヨコの関係を築くのは、むずかしいと感じます。
自分の中のさみしさと向き合うということ
共感することを目標にしていると、お互いがゆずれない価値をもっていることを、いやでも気づく時が来ます。
親しい相手が、自分には立ち入れない領域を持っていると知ることは、さみしいです。
しかも、相手が重要に思っている価値ほど、自分のほうからは意見できません。
どう生きるか、誰と生きるか。何を学ぶか。
それらは一人ひとり、それぞれの問題なのです。
「相手の大事な価値には立ち入れないんだ」
そのことを認めてしまうと、お互いに上辺だけで接しているような気がしてしまいます。
私は、それをさみしいと感じます。
でも、そのさみしさは、今まで感じてなかっただけで、生まれたときから存在しているものです。
支配欲の本質は、「さみしさを感じたくないから、あなたを自分と同じ価値観にしていたい」
自分の中にあるさみしさを認められないと、うっかり支配したくなります。
あなたの中や、私の中にある、「同じ価値観でありたい」という希望が、相手を支配しようとさせるのです。
さみしさを認めて、共感を使って相手を理解し、関係を育むのです。
誰かとまったく一緒の価値を持つ日はやってきません。
違うことを理解していくのです。
大丈夫、さみしさを認めて相手を尊重しあう関係は、さみしさに目をつむって支配しようとする関係より、
圧倒的に近い関係になれます。
尊厳を認めてもらっていることが、相手に伝わるからです。
さみしさを認めて、それから良好な関係を気づいていこうということを認められないと、
自分の価値に無理やり合わせようとして、おかしなことになります。
それでも、つい子どもを制してしまうことについて
ついでにいえば、子どもには共感力、判断力が育ってなかいから、社会的に不適切な行動をします。危険なこともします。
緊急に迫られて、不適切な行動を強く制したとして、あとで親がそれを気に病む必要はないと考えます。
緊急で相手を強く制することは、長い目で見て、重要な問題ではないからです。
(そうですよね?)
なんでも完璧にヨコの関係にしようと思うのではなく、
日々、理解しながら近づいていくんだと思えれば、気が楽になると思います。