アドラー心理学の「全体論」について
アドラー心理学では、「全体論」という考えで、一人の人間を見ようとします。
全体論とは、
「人間は『部分』にはわけられない。『全体』でどんな目的に向かって動いているかをみなければ、その人は理解できない」
という考え方です。
ここで言っている目的とは、
「仕事で成功する」とか「試験に合格する」とか、「彼女をみつける」とかいった表面的なものではありません。
もっと性格に根差した「人には競争で負けたくない」、「注目を浴びていたい」、「お気楽でありたい」といった目的です。
ある人の言動を全体でみていると、その人の性格に根差した人生の目的が見えてきますよ。
一人の個人を部分で切り取って解釈せずに、トータルで見ようとしている人は、落ち着きがあります。
些末な部分にすぐ飛びくようなことをしないからです。
全体論みたいな考え方は、アドラー心理学に関係なく、成熟した大人だったらやっていることではないかな?
多重人格者だったとしても、現れるそれぞれの人格の目的を見ていると、ひとりの統合された目的が理解できるようになりますよ。
全体論の目を持たない人に出会っても、それは出会いじゃない
さて、アドラー心理学では、勇気を持つことが大事だと考えています。
その勇気を持つために、所属感を持つことも大事です。
所属っていうと難しいですが、「この仲間のなかにいてもいいと許されている感覚」のことです。
所属する意識を感じないまま月日をすごすのは、さみしいものです。
勇気を持てなくなります。
でもですね、どこかに所属したいと思って、
簡単な出会いを求めてもろくなことはないと私は思います。
全体論の目で人を見るのは、大人じゃないとできません。
(もちろん、実年齢の話でなく、精神的な成熟度の話です。)
その意味でいうと、大人じゃない人や集まりも、世の中には多いんです。
たとえ何人かの連絡先をしり、飲み会に集まる友達を作ったとしても、
そこに全体論的なものの見方ができる人が一人もいなければ、
所属の意識を持てないんじゃないかなと思うんです。
そんな集まりなら、所属することはないです(バッサリ)。
私はわがままな性格なので、
理解されていないまま承認されても、時間を損した気分になります。
みもふたもないことを書いていますが、「そうそう」と思う人は多いんじゃないでしょうか。
さみしい時間は何かに熱中し、発信しよう
全体論的なものの見た目ができる人は、自分のことは自分で決められる人でもあります。
そんな人は、自分の思うように生きていて、忙しい。
簡単には出会えないです。
だから、出会いは急がず、自分を成熟することに時間を使うましょう。
あとは、好きなことについて説明できるように、発信する練習をすることです。
経験と知識を蓄えることで、人や物事を総合的にみることができるようになると、
相通じる素敵な人と出会うことができます。
これは、私がやってきたことです。