「嫌われる勇気」の続編、「幸せになる勇気」を読みました。
アドラー心理学が掲げる基本原則は、あらゆる問題を、誰かのせいにすることをやめることを促します。
それによって、心に自主性を取り戻すことを促しています。
また、アドラー心理学の基本原則は、人付き合いについてや、自分自身に対する言葉について、客観視する余裕を与えます。
「常に客観視ができる」という視点が知性となります。
客観視できれば、「私には価値が無い」、「職場の全員が私を嫌っている」というのは、本人の思い込みで、間違った認識だということが冷静に気付けるわけです。
これは誰にとっても非常に役に立ちます。
「嫌われる勇気」は多くの人に希望を与える本となりました。
しかし、アドラー心理学を「使って」人付き合いを変えようとすると、イバラの道になります。
アドラー心理学に基づいた言動は、アドラー心理学を知らない人にとっては軋轢に受け取られるわけです。
大変な目に会います。
特に若い人がアドラー心理学を読んで、実践しようとすると、苦痛だらけです。
年をとった人は「若い人は自分より知性がない」と思っているから、その不自然に思える言動に理解を示そうとしません。
さらに子どもは、相手が怒らないとみるとつけあがります。
普通なら怒るような言葉に相手が反応しないのを見ると、「お前はオカマ?」という言葉を浴びせてきます。
しんどいよねー。
もちろん前作「嫌われる勇気」がヒットしたことも要因としてはあるでしょうけれど、
アドラー心理学の実践のしんどさに答える意味で「幸せになる勇気」は書かれたのでしょう。
「現場」にいると、人間は性悪説で考えたほうがいいかもしれないという考えに、何度も流されそうになります。
しかし、そこに発展はありません。
ひたすら他人を管理すればいいのであれば、それはコンピューターとプログラムで出来ることであり、あなたやわたしに存在価値はなくなります。
性悪説で考えることにマッタをかけるのは、哲学であり、その一つがアドラー心理学です。
常に考えるべきは「悪いあの人」「かわいそうなあたし」という思考をやめて「これからどうするか」の一点を考えることだとこの本は説きます。
意見を通そうとするのではなく、尊敬を示せとこの本は説きます。
うまくいかないときに、どのような考えに立ち返るかということを、この本は述べています。
「愛し、自立し、人生を選べ」という言葉で、本の中で対話をする二人の朝が明けるのです。
「道は示す。楽に生きるな」と語っているのです。
静かに、とんでもなく厳しく熱いことをのべた本です。